若者の気持ちになってみる本(パート②)

「最近の若いもんは・・・」ということばの後には、マナーや作法などの批判的なことが続く場合がほとんどだと思う。

マナーや作法は『知っているか』&『遵守する意思があるか』であって、根本的な原因ではないと思う。

世代間で大きく違うのは、年長者へのリスペクトではないかと思うのであります。

※例えば『先生』という単語に含まれるイメージや敬意が、世代間で明らかに違う

こうした考え方自体の違いを知っているか&許せるかで若者への見方も変わるのではないかと思うのであります。

 

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

他人を見下す若者たち (講談社現代新書)

 

 

 

勘違いな有能感

かつて貧しい社会では必然的に助け合わなければ、生きていけなかった。しかし、豊かな社会になり、助け合う必要がなくなるとコミュニケーションすらとらなくなる。

※助け合いのコミュニケーションによって、相手のことを考える習慣を身につけてきた。

また、昔は自分の知らないことは他者から教えてもらうことで、コミュニケーションや相手への敬意をもつ機会となっていたが、インターネットの発達で知らいないことは自分で調べるようになると、全て自分でできてしまうという勘違いした有能感をもってしまう。

そして、SNSに発信する行為により、発信者が総解説者となり、物事を上から見る機会が増えてしまう。こうしたことも勘違いした有能感につながる。

 

自分を知らない、知ろうとしない

研究によると、自分の長所をすぐに書き出せない子どもが増えているとのこと。勘違いした有能感をもつ反面、自分のことを知らない、知ろうとしない面が見られる。

これまでの過程で、相手のことを考える習慣が身についていないために、座談会などで「他者の良いところを教えてあげてください」といっても、やはりすぐに答えが出ないというケースが多いという。

自分のことを知らないのに「他者より有能だ」と考えるのはやはりおかしい。

 

勘違いした有能感からの脱却

1.しつけの回復

   社会で責任ある行動や態度ができるように訓練する機会を

2.達成感を感じさせる

   子どもたちに一定の役割を与えて、達成感をもたせる経験を

3.感情の交流の場を

   感情を直接交流できる機会を意図的に多く設定する

 

まとめ

本の内容を簡単にまとめるましたが、何でもかんでも批判的に見るのはやはりよろしくないと思うのであります。

  夏目漱石曰く

自己の個性の発展をし遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならい。

  荀子曰く

自ら知る者は人を怨まず

 個性や才能の違いを知り、違いを受けとめ、自分自身に還元していく。つまり、コミュニケーションの質や量が人間関係の大きさを決めるということですね。

最後に

  山本周五郎曰く

非行少年の指導には規準がない。両親の放任主義のためだとか、しつけが悪いとか、環境がダメだとか、社会が悪いだとか、貧困のためだとか、条件を全部削除したら、そこにはもう人間らしい存在はない。