続・自分の『想い』を生きる目的(仕事)にする本

 「見栄や物欲のためにお金が欲しいから働く」というのもその人にとっては正解だし、「世のため人のためでないと頑張れない」という人もいるわけです。

 様々な体験をきっかけとして、自分の使命は「世のため人のためだ」と考えた著者が、世界の貧困地帯に学校を建設する非営利活動を紹介したのが☟

 

えんぴつの約束

えんぴつの約束

 

 

  ボランティア活動に参加する理由は人それぞれ。勤労の理由も人それぞれ。価値観や倫理観やファッションセンスも人それぞれです。なので、物語(特にノンフィクション)を読むときは、その考えや行動が正しいかどうかというよりも、その過程がいちばん大事で参考になる。

 

 きっかけと情熱の原動力

 著者が貧困地帯に学校建設の活動をしようと考えたきっかけが、インドを旅行中に現地の男の子に「何でももらえるとしたら、何が欲しい?」と問うと「えんぴつ」と答えたことだった。

 「施しはいらない。ただ学びたい。アナタがいなくてもワタシが子どもと村のみんなを教えられるように」

 ぼくはそれまで、貧しい人に施しを与えるのがチャリティだと思っていた。ぼくはそれを単純な一方通行の行為だと思い込んでいた。

 恵まれない人に施しを与えても、彼らのためにならない。残酷な依存の循環を生み出すだけだ。

   「これだ!」と思ったならば、後は動き出すだけ。でもそれがいちばん難しい。「理想と現実」ですね。

 どんなことでも「やり始め」というのは「リスクしかない」という思い込みが強い。バイタリティある人はいい意味でそういう思い込みをもっていないと思うのであります。でも、多くの人(特に大学出の広告代理店出身の著者)は、まちがいなく「リスク」のことを考える人であったはず。

 そんな著者に友人が言ったひとこと

「リスクをとるなら、今じゃないか。20年もしたら家族ができて住宅ローンもあるぜ。リスクなんかとれないだろ。責任ある身だからな。リスクをとるなら若いうちだ。」

そして、悩む著者はピアノコンサートでこう思う

「もしこのピアニストほど強くひとつひとつのことに情熱を燃やせたら、自分の心が満たされるはずだ。自分より大きな何か、他者の気持ちを動かす何かをはじめたい。

出来事の一つ一つは何でもないことでも、それが幾重にも重なると『ひらめき』になる。

「大きなアイデアは突然どこからか生まれてくると思っている人は多いが、実は小さなひらめきの積み重ねがブレークスルーにつながる

のであります。

 

「非営利」ということばの定義を変える

 「非営利活動団体」といっても営利を出して運営費にしないと活動ができないわけで、そこだけで団体の活動や価値をみてしまうのは失礼だ。特にビジネスマンからすれば営利を出すために苦労しているわけで、そこが絶対の評価基準。そうした人から見れば「非営利」=「無価値」という極論になってもおかしくはない。著者もそのことにふれている。

 価値がないだって?それはおかしい。ぼくたちは利益を出さないためでなく、大義を果たすために存在しているのに、否定的な言葉でその業界を表すなんて間違っている。

 やらないことを強調するのではなく、やっていることを表現すべきじゃないか?

 社会のためになる活動を行い、その効果を広く測定していることを、もっと大胆に訴えた方がいいのでは?

  『名は体を表す』というが、法的な名前はそうであったとしても、あくまでもグローバルレベルで教育問題解決の一助を担う起業家であるということです。

 

起業家として心構えを学ぶ

 成功体験だけでなく、失敗もある。そもそも起業家というのは

「崖から飛び降りながら飛行機を組み立てる」By リード・ホフマン

 ようなものだ。そういうスピード感のなかで活動すれば、自分の力だけでは何ともできない。著者も事件が起こる毎に、いろんな人に助けられて多くを学んでいる。

 事件が起きると注目されるのは加害者と被害者だ。もしどちらかの振る舞いが違っていれば、事件は起きなかったかもしれないと思う人も多い。だが、実際には見物人、つまりそのことで損も得もしない人の役割の方が大きい。

この考えをしっかりともっているならば、たとえ自分が当事者でなくても、他者を守るということの重要性&責任を第一に考えるだろうと思うのであります。

 

 「本物の発見の旅とは、新たな景色を見ることではなく、新たな目を持つことである。」 マンセル・プルースト