夢も希望も感じられないクリスマス物語

   ニュースのネタがなくなってくると、昔からの慣習や行事について、あれこれと否定的なことを並び立てることが多くなるのは気のせいでしょうか?毎年のように行われている慣習や行事に、そもそも、どんな意味があって、なぜ始まったのかというようなことを知っていて参加しているのでしょうか?そもそもが大人の事情であって、実はその辺を突かれると痛いところがあるんではないかと勘ぐったりするのは、ひねくれた嫌な奴なのでしょうか?最近のハロウィーンやら恵方巻きやらを見ていると、そんなこと考えてしまうのであります。家を建てる時に家相や伝統工法には何の興味もないのに、非科学的な迷信ごとに興味がわくんですよね。。。

ということで、非科学&その存在理由がいまいちよくわからないものの代表格(サンタクロース)について、クリスマスという伝統を現代的でめんどくさい奴の視点からつくった物語がこれ👇

 

 

政治的に正しいクリスマス物語

政治的に正しいクリスマス物語

 

 

 

夢も希望もない感じのクリスマス物語

何というか、本書の物語には自体に夢や希望はない。感情の移入も一切ない。文学的なたのしみもない。ただし、気づきはある。ほんの少し。料理の調味料程度に。

物語1: 冬至の前夜のできごと

どんな宗教の人も、無宗教の人でも疎外されることのない冬至の前夜。地球をたたえるこのお祭りに、動物の毛皮をまとい、不健康に太った商業主義の権化サンタクロースがやってきた。

物語2:雪的生命体サム

子どもたちに喫煙をそそのかしかねないため、パイプを口につけていないのに、雪的生命体サムは、オゾン層破壊による地球温暖化で、溶解の危機に。

物語3:くるみ割り人形

七つの頭をもつ多重人格のネズミの王が率いる軍隊との紛争を平和的に解決した調停団のリーダー「くるみ割り人形」。

物語4:赤いパワーをえた鼻のトナカイ

蛍光能力のある鼻は、放射能汚染の影響では?と疑われるトナカイ、ルドルフはサンタクロースに奴隷化された労働者階級トナカイたちの解放に立ち上がる

物語5:クリスマスキャロル

増毛手術と色付きコンタクトレンズのため真実を見ることのできなくなったジェイコブの幽霊、薄がゆダイエット療法をするスクルージ、などディケンズの名作小説の中で貧しさの気品説にまどわされてつらい生活を送っていたあの高潔ぶった貧民たちを完全否定したクリスマスキャロル。

 

物事をいつもと違う角度から見る・考える

本書翻訳者はデーブ、スペクターさんです。著者もコメディ作家、パフォーマーなので、ユーモアは感じるが、テレビで見聞きするデーブスペクター論調と同じで、どうもつかみづらい。でも、我々が何の疑問も思わずにルーティンとしてこなしていることが、実は、何の意味もないということを気付かせる方法として、物事をあらゆる角度から見て、いつもと違う見方をするという姿勢が大事だと思うのであります。いわゆるクリティカルシンキング(否定的考察)ですね。自分が得た情報などを否定的にとらえることで自分の考えをまとめるというロジックは海外では割と一般的らしいのですが、日本人は性善説を信じるからかあまり一般的ではないし、めんどくさい奴だいわれかねない。

ファンタジーは大事だけれども、そろそろ、現実は現実としての問題を直視して、物事を見ていかないといけないと思うのであります。他国の文化に翻弄される前に自国の文化について考えることが先ではないかとも思う。それが「政治&選挙」ではないかと思うのであります。