続・山本周五郎作品を読むべし‼

ながい坂

 

 

ながい坂 (上巻) (新潮文庫)

ながい坂 (上巻) (新潮文庫)

 

 

  • 人の一生はながいものだ。 一足飛びに山の頂点へあがるのも、一歩、一歩しっかりと登てゆくのも、結局は同じことになるんだ。 一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろいろな風物を見ることができるし、それよりも一歩、一歩を確かめてきたという自信をつかむことのほうが強い力になるものだ。
  • 攻める力はいつも、守る力に先行する。 攻め口がわかるまでは、守る手段も立てられない。
  • 綿密に計算され一分の隙も無いように仕組まれたものは、その綿密さのため、逆に多くの目こぼしを残すものです。
  • いちど本音を吐いてしまえば人間案外に胆が据わる
  • 弱さや欠点をもたない者はない。 ただ自分に与えられた職に責任を感じ、その職能をはたすために努力するかしないか、というところに差ができてくるだけだ。
  • なんであろうと、人間が本気でやることはそのままで立派だ。 人の思惑なんぞ気にするな。
  • 人間のすることに、無駄なものはひとつもない。 眼に見えることだけをみると、ばかげていたり徒労だと思えるものも、それを繰り返し積み重ねてゆくことで、人間でなければ出来ない大きな値打ちのある仕事が作りあげられるものだ。
  • 義であることが常に善だとはいえない。 また、正しいことだけが美しいとは限らない。
  • およそ人間の生活は、過去とのつながりを断っては存在しない。 新しい事実を処理するには、経験の中から前例を選び出し、検討することで適切な手段が取れるのです。

  

天地静大

 

天地静大 (新潮文庫)

天地静大 (新潮文庫)

 

 

  • 人間は逆境に立って、将来の希望も失われると、現実には存在しない、なにか不易なものを求めたくなるのだろう。
  • 人の生活は頭で考えるようにゆくものではない。 しかし、考えたことの万分の一でも、実際に生かしてゆくのが本当の生活だと思う。
  • 善悪の区別は集団生活の約束から生まれたものです。 人間が本心からすることは、善悪に反しているようにみえることでも、結局は善をあらわすことになるのです。 犯罪者がでれば、集団生活が壊されるが、そこで善をあらわそうとする活動が起こり、生活全体により良くなろうという考えが生まれてくる。
  • 人間は貧しさに耐えることはできるが、屈辱を忍ぶということは困難なものです。
  • 世間はこういうものだと、したり顔で口にするようになってはおしまいだ。

 

赤ひげ診療譚

 

赤ひげ診療譚 (新潮文庫)

赤ひげ診療譚 (新潮文庫)

 

 

  • 見た目に効果のあらわれることより、徒労とみられることを重ねてゆくところに、人間の希望が実るのではないか。
  • 世の中は絶えず動いているので、それについてゆけない者のことなど構ってはいられない。 だが、ついてゆけない者はいるのだし、かれらも人間なのだ。 金持ちよりも、貧困と無知のために苦しんでいる者たちのほうにこそ、おれは却って人間のもっともらしさを感じ、未来の希望が持てるように思えるのだ。
  • 世間からはみ出し、疎まれ嫌われる者たちは、むしろ正直で気の弱い才知に欠けた人間が多い。 この者が切羽詰まると、自滅するか是非の判断を失ってひどいことする。 才知に欠けてるからそのひどさも桁外れになりがちだ。